明萌 異なる道を歩む

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「異なる道を歩む」

 

執筆:明萌

 

(日本語)訳・林 明麗、校閲・真鍋 誠

 

 

講堂内で、讃仏偈(さんぶつげ)の唱える声が響き渡り、「天上天下無如佛……」、左右二人の常住師父に守られながら、上人さまがゆっくりと講壇に向かって進んでいきます。年末の祝福の幕開けです。

 

どうして、上人様は直接に二階から会場に入らないのでしょうか。あの平行なフロアを歩いてくるほうが楽で負担も少ないのに、なぜ、手間をかけて、ゆっくりと階段を下りるのでしょうか?私の考えでは、それは、多くの人々が上人さまに近づくことができるようにと、又上人さまの慈悲深い心と人々に対するポジティブなエネルギーを感じさせるためなのだと思います。だからこそ、上人さまは柔弱な体を引きずりながらも、依然としてしっかりとした足取りで前へ進むのです。

 

証厳上人さまは、まったく異なる道を歩んでいます。一介の修行者として、「隠世自修」(隠遁して修行する)という選択をせず、代わりに世界中の静思弟子たちを導き、世の中に苦難に満ちた場所を訪れ、苦しみを救う道を選びました。

 

慈済功徳会を設立された当初、上人さまは日本へ留学するかどうかで葛藤に陥りました。「私が勉強に行くなら、自分自身の成就になるでしょう。しかし、台湾で慈済を守り続けることで、すくなくとも一部の高齢者、未亡人、孤児の頼りになれます」。両方を天秤にかけた結果、慈済に全力を注ぐことを決断しました。   

 

この決断により、上人さまは他人と異なる存在となりました。上人さまは、まるで帰ることのない道を歩み、清らかな心で他人のために尽くす道を進んで行きました。

 

「なぜそんなに遠くに嫁いでしまったの?」という心からの思いやりの一言で10,385キロメートルも離れた使徒の絆を結びました。

蔡岱霖さんは、南台湾出身の美少女であり、愛の為に遠いモザンビークへと嫁いで行きました。しかし、因縁の結びつきによって、モザンビークを転換させる力強い推進者となりました。

 

丸みのある笑顔には、不屈の精神が宿り、背は低いですが、人々に安定感を与える存在です。岱霖さんは、帰依した証厳上人さまと同じように、異なる道を歩むことを選びました。

 

2012年、高雄の楊銘欽師兄の導きにより、岱霖さんは慈済に出会いました。同年、彼女は台湾に戻り、「静思生活営」というイベントに参加しました。この3日のキャンプで、彼女は彼女の人生観を変えました。彼女は明師と出会い、そして、「問心」と「方向」という2曲の歌に大きな感動を受けました。

 

「過去、私はモザンビークで、風習や文化の違い、そして、社会的な観点の相違により、心の中で様々な不安や葛藤を抱えていました」。例えば、地元の人々は時間という観念を持っておらず、2時間も遅れてきたにもかかわらず、「あなたには腕時計があるかもしれませんが、私には十分な時間があります」と堂々と言われることもありました。

 

岱霖さんは慈済の精神を受け入れることによって、感謝、尊重、包容などの心を持つことを身につけ、周囲の人々や物事を新たな視点で見るようになり、貧しい国で慈済の四大志業を展開する方法を学びました。

 

モザンビークで志業を推進する際に困難に直面したら、諦めることを考えますか?岱霖さんはキラキラとした大きな目で答えてくれました。「いいえ、考えません。上人様は私たちに心寛念純(広い心と純粋な思考)を持つことを教えてくださったのです。」

 

善行を行うため、警察署に「招かれて」尋問されたり、首長の部屋へ連れていかれて、調査を受けたりしました。また、友人には利益を得ているのではないかと疑われ、更に、人々に門前払いされることもありました。しかし、様々な挫折は、彼女の静思法脈を継承しようとする堅固な心を揺るがすことはなりませんでした。彼女は、「アフリカで慈済を実践するには退路はありません。必ず成功しなければなりません」と、断言しました。

 

「困難は一時的なものであり、どんな志業の推進でも永遠に順調なわけではありません。」岱霖さんは上人さまの教えに感謝し、「心轉、境就能轉。」(心の転換によって、状況も変えられる)と、心に刻んでいます。そのため、逆境が訪れてきても、常に毅然として乗り越えることができるのです。

 

一人は師であり、もう一人は弟子であります。この二人は異なる道を歩んでいます。使徒の間にある共通の出発点は「慈悲」で、ゴールは「大愛」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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