台北 徐美華 人生の脚本を真面目に書く

0觀看次
A- A+

人生の脚本を真面目に書く

文/台北  徐美華 

(日本語)訳・江 愛寶、校閲・陳 植英

 

 

「上人様! 私の業障は重いのです。前世で人生の脚本をよく書かなかったから、長年の間、病苦の試練に苦しんで来ました。幸い、慈済に入って、懺悔することを知りました! 上人がこの弟子をリサイクルしてくれたことに感謝しています!」 福田ボランティアの王素蘭さんは、敬虔に懺悔し、感謝の心で言った。

 

「リサイクルして来ましたが、本当に役に立っています! 私たちは、業障が重いと言うのではなく、福報があると言います。様々な難関を乗り越えて来ました。願力を揺るがないものにするのです! 精進してください!」と上人は優しく祝福した。

 

右手に杖をつき、左肘をサポーターで固定した王素蘭さんは、彼女の人生を語った。

 

「靜思堂が落成して使用が開始した時、私は縁を逃さず、福田ボランティアを引き受けました。今年で十五年です。約三十名のコミュニティボランティアを連れて每日、福田を耕しています」と王素蘭さんは法悦に満ちた心で言った。

 

しかし、人生は無常なもので、数カ月前、靜思堂で福田を耕しに来る途中、曲がって来た車にぶつけられた。肘が骨折し、手術を二回したが、今でも傷口が痛くてよく眠れない。

 

素蘭さんは思わず懺悔し、一生様々な病苦に苦しめられて来たが、自分の業障が重さをつくづく感じた。

 

1964年、高雄六亀に生まれた王素蘭さんは、辺鄙な山奥に住んでいて、家は農家で、生活は貧しかった。幼い頃、不注意で庭の横にあった水田の畔に落ちて右足を脫臼したことがある。山間に住んでいて、医者にかかるのが不便だったうえに、家にはお金がなかった。それが原因で、一番良い治療チャンスを逃したため、「びっこ」を引くようになったのだ。

 

幼い頃、父親は彼女に「お前は歩き出すのがとても遅かったうえに、びっこを引いている。だから、何事も運命を受け入れてこそ、幸せになれるのだ」と言った。

 

北部の高校に通った時、素蘭さんは働きながら勉強した。放課後は工場へ仕事に駆け付け、深夜の十二時に退勤することができた。每日朝から晚まで忙しく、体力を使い果たして、ぼんやりしていた時に手が機器に巻き込まれた。今は後遺症が残り、天気が変化すると、ズキズキして痛む。

 

社会に出て仕事を始めた後、同僚(義理の妹)の紹介で夫と結婚し、一男一女を設けた。息子が慈済の親子サマーキャンプに参加した縁で慈済を知るようになった。

 

慈済に入ってから、積極的にあらゆる志業に関わり、身を持って実践する中で大愛の精神を体得し、「前世の因を知らんと欲すれば、今生受くるが是なり。来世の果を知らんと欲すれば、今世作るが是なり」の道理も分かるようになった。

 

七年前、股関節が変形したため、二回手術をした。今でも杖をついてこそ、順調に行動できるようになった。彼女は強靭な意志で、病苦を乗り越え、以前と同じように、コミュニティボランティアの先頭に立って、福田を引き受けている。

 

五年前人間ドックに入った時、未期の肺腺癌が発見され、高雄の或る病院で手遅れだと宣告されたが、彼女は一縷の望みを持って 大林慈済病院で再検診した。胸腔科の賴俊良副院長は詳しくレントゲン写真を見てから、「師姐、あなたはホスピスを手配した方がいいです」と重苦しく言った。

 

「嫌です!私は最後まで慈済の志業をしたいのです!私は他人の世話をするのであって、他人に世話されたくありません」。

 

賴副院長は彼女の病に負けない精神に深く感動し、もう一回入院して検査を受けるよう、アドバイスし、如何なる治療の機会も諦めなかった。「菩薩」は願いを叶えてあげることにし、彼女の死に直面した命を延ばしてくれた。

 

何度も再発した病情は、たとえ脳や肺に移転し、また、電気療法などに苛まれても、意志の強い素蘭さんは、最後の一息まで、慈済志業をやり通すと発願した。

 

上人の祝福をいっぱい持って接客室を出ると、全身に浴びた冬の太陽はもっと優しくて美しかった。あたかも彼女の人生の暗い影を拭い去り、彼女に人生の脚本を完成させるように祝福しているかのようだった。

 

筆耕チーム   随行記20211230

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Like our articles?Welcome to join JSHeartLand.